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2018/07/12

2018.7.12 神戸学院大学講演会参加

神戸学院大学 村上明先生講演会

◎日時:7月12日(木)16:00−17:30
◎講師 村上明先生
◎会場:神戸学院大学ポーアイキャンパスB号館B306
◎演題:Cross-sectional and longitudinal development of L2 English grammatical morphemes: Insights from a learner corpus
◎主催:神戸学院大学グローバルコミュニケーション学部新谷奈津子研究室
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◎上記に参加しました。国際的な舞台で活躍をしておられる村上先生の最新の研究3本をご紹介いただき,大変刺激を受け,また,いろいろと勉強になりました。講師の先生,また,企画してくださった神戸学院大学の先生がたに御礼申し上げます。

◎刺激的なお話を聞きながら,今後のSLA研究の在り方について(素人視点ながら)いろいろなことを考えさせられました。昨年出た「応用言語学」本の執筆時からずっとモヤモヤ感があり,講師にも質問させていただいたのですが,改めて自分の備忘録として。

(1)現代のSLAにとって習得順序を研究する意味はなんだろうか?
・第1世代にとっては,習得順序研究は(少なくとも部分的には)言語能力の在り方を論じる「大きな問い」(つまり,L1/L2の言語能力は生得的か否か)の一部であったと思われる
・まず,Brown 1973(縦断調査)やde Villers & de Villers(1973)(横断調査)など,L1における習得順序の同一性を主張する研究が出てくる (ie L1習得は環境ではなく生得的)
・その後,Krashenたちが,L2でも(L1の場合とは少し違うが/個体差も少しあるが,全体として言えば)文法形態素の修得は決まった順序だと主張する(natural order)(ie L2習得もある程度?生得的)
・なので,L2習得はL1習得風に行うべきであるという提言につながる(input hypothesisなど)
・とすれば,SLAの枠でそれを否定する(たとえば,natural orderが再現されないとか,L1差が大きいとか,個体差が大きいとかを明らかにする)ことは,その先に何を主張することになるのだろうか?
・あるいは,特に習得理論と関連付けないという考え方もあるが,そうだとすると「大きな問い」を持たないSLAというのはありうるのだろうか? (※自分では,(ある種の)コーパス言語学と(ある種の)SLAの違いは「大きな問い」の有無だと考えていたので,この点は悩ましい)

(2)学習者産出研究で分析の単位を変化させることの整合性をどう担保するか?
・たとえば,NS/NNS比較をやって,(A)NNSは・・・という特徴があると主張する
・その後,国別比較をやって,(B)日本人は・・・,L1中国語話者は・・・と主張する
・その後,習熟度比較をやって,(C)日本人の中でも上級者は・・・,初級者は・・・と主張する
・さらにその後,個体差比較をやって,(D)個人差が大きく,習得は個人レベルだと主張する
・この場合,(D)を積極的に述べることは,従前の(A)~(C)の主張を内部解体することにつながらないのか?(この悩みは自分にいつもつきまとっている。「玉ねぎを剥いていくと最後は無」)

(3)日本人学習者かL1日本語学習者か?
・ある学習者集団のL2使用の特性は,L1,国(の教育システム,教材,カリキュラム),個人など,様々な要因があると思われるが,どこにフォーカスを置いて考えるべきなのだろうか?
・ベルギーのGranger先生たちの研究のように,欧州において,たとえば仏語話者とか独語話者のL2英語使用におけるL1影響を議論するのと同じ枠組みで,日本や中国のL2英語学習者におけるL1影響を議論してよいのだろうか?
・もしよくないとすると,どういう場合にL1干渉フォーカスでアプローチし,どういう場合に環境フォーカスでアプローチすべきなのか?その線引きは? しかしそのように差異があるということ自体が「すべてはL1差」説を担保する?(論理が二転三転ねじれていく)
・仮に見出された差異の根源をL1だけに還元すべきでないとなれば,精緻なL1干渉研究のデザインの中に,教材とか受けた教育とか個人タイプのような定義しにくいパラメタを組み込むことはどのようにして可能になるのか? あるいはそういう「ノイズ」(とおっしゃっておられた)は存在しないものとして(ちょうどperformanceを切り捨ててcompetencyを論じるように)扱うのがよいのだろうか?

・・・などなど,いろいろと考えつつ,帰路の電車に乗りました。