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2018/01/26

2018.1.26 外国語教育コンテンツ論コースコロキアム1・集団指導・修士最終試験

進級試験をかねたD1対象のコロキアムⅠ,M2対象の修士最終試験,M1対象のコース集団指導が開催されました。

石川ゼミからは,下記4名が発表に臨みました。


日時:2018年1月26日(金)0900~1450
会場:神戸大学鶴甲第1キャンパスD615教室


(1)学位論文コロキアム1(発表30分+質疑10分)
0900~1000
150C304C
張晶鑫
現代日本語におけるオノマトペの用法解明と 中国人日本語学習者のためオノマトペ指導システムの開発―コーパス言語学の教育的応用の可能性をめぐって―

(2)修士論文・修士修了研究レポート最終試験(発表15分+質疑5分=20分)
1010~1030
162C126
中西 淳 日本人英語学習者の前置詞使用の問題点の解明-頻度・共起語・用法の3つの観点から-
◎審査委員:教授 石川 慎一郎 /教授 柏木 治美/ 教授 Tim Greer



(3)第5回コース集団指導(M1:10+5=15分)
1335~1350
鄧琪 M1 「 『外来語』 言い換え提案」に対する一考察:朝日新聞データベースを用いた計量的調査をふまえて
本研究は国立国語研究所(2007)が提案した「『外来語』言い換え提案」の一考察として,言い換え対象とされた176種の外来語を取り上げ,新聞アーカイブを用い,過去10年間の頻度変化パターンを概観し,日本語に定着した外来語の特定を行った。また,どのような外来語が日本語として定着しやすいかを明らかにするために重回帰分析を行い,外来語の定着に必要な要素の特定を行った。

1405~1420
隋詩霖 M1 広告言語の特性分析―日本語教材開発の観点から:「体言止め」の指導教材としての広告テキストの可能性―
現状の日本語教育において,教材の中で会話ベースが多く存在するが,体言止めを使う教材は極めて少ない。そのため,本研究では日本語の化粧品広告・自動車広告を体言止め教材として使用することの利点について検討する。

2018/01/20

2018.1.20 尼崎市立常陽中学校道徳授業研究会

本日は,尼崎の常陽中学校の道徳授業研究会を視察し,事後研究会の講話を担当しました。

道徳は,新指導要領のもとで「特別の教科」となり,新たに評価が発生します。私は,アクティブラーニングの導入支援の延長線上で,尼崎市のいくつかの学校で道徳の評価研修を担当しています。

本日拝見した授業は,手塚治虫の戦争体験を述べた教材を読み,登場人物の心情を理解するというものでした。オーソドックスな道徳授業としてよく工夫されたものでしたが,「新しい道徳」の理念をふまえると,さらに一歩踏み込みもほしかった気がします。

これまでの道徳指導は,一定の成果を挙げてきた一方で,

1)指導が固定化・形骸化しがちで,
2)読み物の登場人物の心情の読み取りばかりで,
3)望ましいと思われることを言わせたり書かせたりするだけで,
4)いじめなど,学校や地域の抱える実際の問題の減少につながらない

という限界もありました。


道徳で身につける能力は,一般の観点別評価の対象になるものではありませんが,そこには,能力・資質の三本柱に沿って,およそ,以下のような面が存在します。

(A)道徳的価値の理解
(B)多元的思考
(C)自己内省

このうち,新しい道徳は(B)や(C)をとくに重視するわけですが,これをうまく行うには,教材の選定が従前以上に重要になってきます。

たとえば,道徳教育の中で大きな位置を占める戦争教材や震災教材では,つらい被害や悲劇が強調されがちですが,その場合,(A)に関して新たな価値の発見や理解につなげることは難しく,(B)で思考のふり幅を持たせることも難しく,(C)で自分の問題に引き付けさせることも難しくなっていきます。戦争教材・平和教材・震災教材をどう「新しい道徳」の中で活性化させ,指導の実をあげていくか,今後も,現場の声をふまえた検討と研究が必要でしょう。

今週は,1週間で4つの小学校・中学校を回りました。教育の真髄は現場にあり,いつもながら,教えることよりも教わることのはるかに多い1週間でした。

2018/01/19

2018.1.19 尼崎市立園田中学校公開授業講話

本日は,園田中学校の英語公開授業を視察し,事後研究会の講話を担当しました。




拝見した授業は,最上級を教えるというもので,まず,先生は,子どもの関心を惹きつけるため,生徒の代表に腕相撲を行わせ,

 A is stronger than B.
 A is stronger than C.
 A is the strongert of the three.

のように最上級を導入しておられました。
英語嫌いの生徒もいるなかで,よく工夫された導入に感心しました。

一方,Deep Active Learingの視点から言えば,導入の後はドリルで定着させるだけ,ということではなく,どうやって,生徒たちに最上級という文法形式そのものを意識化させ,そこにattentionを振り向けさせ,深い思考を発生させるかが課題といえそうです。


2018/01/18

2018.1.18 西宮市立北六甲台小学校英語教育公開授業講話

表記で授業視察と研究会での講話を行いました。

北六甲台小学校(通称「きたろく」)は,小学校5~6年の70時間実施を先行実施される体制を組んでおられ,英語専科に近いポジションの先生も配置しておられる小学校英語の先進校です。

拝見した授業は,担任+日本人専科のTTによるもので,よく準備・工夫され,テンポよく進むすばらしいものでした。

同校では,アルファベットの文字指導も済んでおり,子どもたちは,自分のなりたい職業を事前に日本語で申告し,先生にそれを英語で教えてもらったあと,ワークシートのI want to be a XXX. のXXXの部分に職業名称の語を自分自身で書き込み,それを発音練習し,ペアで発表しあいます。


私が感心したのは,専科の先生が,最後の段階で,

I want to be a XXX. (できればなりたいなあ・・・)
I will be a XXX. (絶対なってやるぞ!)

という2つの文型を示し,自分の気持ちの強さに応じて,自分で表現を選ばせていたことです。子どもたちは,一度マルで囲んでwant to beを,ずいぶん悩んでwill beに変えるなど,真剣に自分の夢を見つめ直していました。

これは,一見,小さいことですが,語彙や文法における自由度の制約が強い小学校英語においても,「My English, My voice, My Though」を実現し,トレーニングとしての英語使用をコミュニケーションとしての英語使用に切り替える大事なポイントであったと言えます。

私は7年ほど前に,西宮市教委で,若手教員による小学校英語研究会の研究アドバイザーをしていたのですが,そのときにメンバーだった方が,当校の英語専科の先生になっておられます。当時からすばらしい授業をされる方でしたが,さらに研鑽を積まれ,本当にいい授業を見せていただきました。また,この研究授業を視察にいらした教委の指導主事の先生も,くしくも同じ研究会の元メンバーでした。他の見学者の先生も含め,ちょっとした同窓会の趣でした。

私の勤務先は教育学部ではないので,学部生の教員養成に直接関わることはできませんが,教員研修などの依頼は出来る限りお受けし,現場の先生方と多くお目にかかるよう心掛けています。そうして出会い,一緒に研鑽した先生方が,その後,地域のリーダー教員として活躍されているお姿を拝見するのは本当に嬉しいことです。



2018/01/16

2018.1.16 尼崎市立武庫東中学校講話

尼崎市立武庫東中学校第2回アクティブラーニング研究会(防災道徳)



表記において,授業視察を行い,その後,研究会で講話を担当しました。
同校では,本日防災授業を行い,明日,阪神大震災のあった1月17日に避難訓練を行われるということです。

視察した授業は,様々なグッズの中で,避難するときにどういうものを持っていくべきか,まず,個人で考え,次に,グループで議論させるスタイルで組み立てられていました。

良く工夫された授業でしたが,思考の深化を目指すDAL(ディープアクティブラーニング)の観点から言えば,

1)リアルで厳密な設定
2)選択のハードルをあげる

といったことが重要になるでしょう。

たとえば,一口に「避難するとき」と言っても,季節,時間,予想される避難期間,家族と一緒かどうか,必要あれば不足品を自宅に取りに戻れるのかどうか。。。。など,さまざまな条件により,持っていくべき品も変わっていきます。ここをクリアにしないで,グループで討議させても,いっけん議論が盛り上がっているように見えて,実は,意見がすれ違っているということになりかねません。

また,物を選択するというのは,考えさせる授業でよくある例ですが,ここで重要なのは,「n個の中からm個を選ぶ」という設定の中で,nとmをどう設定するかです。

極端に言えば,10万個の中から1万個を選ぶという課題ならば,事実上,頭を使って考える必要はないでしょう。少ないプールの中から極端に少ない数(典型は1)を選ぶからこそ,考えるという営みが不可欠になってきます。


拝見した授業では,50個以上のアイテムから10個ほど選ばせていましたが,これだとかなりなんでも選べてしまうので,プール,選択数ともに,もう少し絞ってもよかったかもしれません。上記の右側は,日赤の作った同様の課題ですが,ここでは,「スーツケースの枠に入る」という条件があり,より,頭を使うよう工夫があります。

日赤
http://nisseki-jrc-bousai.com/common/pdf/web_01-4_2.pdf

ALの講話で,私がよく言うことですが,遠足のお菓子をもっていくときに,

(A)制限なし
(B)500円まで
(C)300円まで
(D)100円まで

4つの設定があったとして,頭がいちばんアクティブに働くのは(D)なのです。「制約なく自由に考えてごらん」というのは,ALを促すように見せて実は阻害します。

この意味で,子どもたちがうまく乗ってくるよう,リアルでかつ厳しい設定をどう作るか,これが教師の腕の見せ所となります。

2018/01/06

2018.1.6 計量国語学会理事会@東京女子大

表記に出席し,審議を行いました。

とくに時間を割いたのが大会での研究発表申し込み規定の策定です。従来,どの学会でも,発表者の良識に任せてとくにルールを定めないということが一般的だったのですが,最近では,そうした常識がなかなか共有されないケースも出てきています。

一般論として,学会が口頭発表を募集する場合,「他所で未発表の内容に限る」とするわけですが,そもそも,内容の「新規性」をどう定義するかは,なかなか難しいところです。

たとえばの論点として:
1) 過去に学内での研究会・勉強会・読書会等で口頭発表した内容は,既発表か未発表か?
2) 提出済みの博士論文で扱った内容は,既発表か未発表か?
3)アイデア部分をブログなどで公開している内容は,既発表か未発表か?
4) 他学会で発表済みの内容について,手法は同じでデータを変えて同じ実験・調査をやったとすると,それは既発表か未発表か?
5) 他学会で発表済みの内容について,データは同じで手法を変えて同じ実験・調査をやったとすると,それは既発表か未発表か?

こうなってくると,すべてをルールで縛るのは非現実的で,ある程度,方針を示して,あとは良心に委ねるということにするほかないかな,というのが現段階での個人的な印象です。

2018/01/04

2018.1.5 国立国語研究所学習者コーパス研究会出席@東京田町広島大学東京キャンパス

下記に参加し,講演を聴講しました。

国立国語研究所迫田科研
学習者コーパス研究会(1月例会)

日時:2018年1月5日(金)
   10:30~12:30

場所:広島大学東京オフィス(409号)

発表者:トムソン・木下・千尋先生(ニューサウスウェールズ大学)
  I-JAS データから見える学習者の学び
 ー社会文化アプローチのレンズを通して―

トムソン先生からは,社会文化アプローチの発想から見たI-JASについて発表がありました。

I-JAS側は「自然な会話」を収録したと述べているわけですが,これについて,社会文化アプローチの立場から見るとそのようには認めがたいという趣旨のコメントがあり,この点をめぐって議論が盛り上がりました。

たしかに,I-JASはOPI風のデータの取り方をしているので,どうしても調査者=聞く人,被調査者=答える人となり,被調査者のほうから質問したり話題をふったりすることはほとんどありません。しかし,それはインタビューという形式による必然的な結果であって,だから「不自然だ」というのはやや飛躍があるかもしれません。インタビューとしてはむしろそれが「自然」だとも言えます。

私自身も,自分が構築している学習者コーパスとの関係もあり,この議論には強く興味を引かれました。

ここで重要なのは,そもそも,「自然な会話」とはなにか,ということです。

現段階での私の整理は以下のようなことです。

1)自然な会話という概念は複合的である。
2)会話の自然性には,
 a) 文法的自然性
 b) 語彙的自然性
   c) 状況的自然性
 d) 動機的自然性 などがあり,各々は本来独立している
3)一方,似て非なる概念として,「多様性」がある
4)I-JASをはじめ,学習者コーパスのデータは,「多様性」という点では高度に特定的・限定的・特殊的である
5)しかし,その前提のもとでは,収集されたやり取りは言語的に(つまり,文法的・語彙的・状況的に)自然である

たとえば,初心者にわからせようとして,わ~た~し~は~のように,過剰なポーズを置いたり,わざと子ども言葉を使って問いかけたりしていれば,それは言語的に不自然な会話となりますが,学習者コーパスでは通例そうしたことは行いません。

つまり,学習者コーパスの開発者は,自分たちが作っているデータは,状況的に特殊であるにせよ,言語的には自然である,というふうに,とらえておくのがよいかな,という印象です。

いずれにせよ,コーパス研究者以外の方から学習者コーパスを見て評価していただくのは大変貴重な機会であり,そこから新しい研究の発想も生まれてきます。いつもながら有意義な研究会となりました。