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2024/07/20

2024.7.20 文科省 日本語教師養成・研修推進拠点整備事業(関東甲信越ブロック)シンポに参加

表記に参加しました。


文部科学省委託事業「日本語教師養成・研修推進拠点整備事業(関東・甲信越ブロック) 」シンポジウム・連絡協議会総会

日時:2024(令和6)年7月20日(土)14:30~17:00
場所:東京外国語大学 大会議室(本部管理棟2階)
定員:100名(事前登録制/先着順)対面開催のみになります。

会場風景(匿名化処理済)


プログラム

・開会挨拶(14:30~14:40)東京外国語大学 学長 林 佳世子
・文部科学省総合教育政策局日本語教育課長 「日本語教育政策の近況と課題」(仮題)(14:40~15:00)
・「CEFRを活用した外国語教育-英語教育での実践例と日本語教育への応用」(仮題)(15:00~15:40)根岸 雅史 氏(東京外国語大学世界言語社会教育センター 特任教授)
・意見交換会(15:50~16:45)
・連絡協議会総会(16:45~17:00) 


大変有意義なお話を多く聞くことができました。自分メモとして。

・さまざまな立場で日本に来られる海外の方にどのような日本語力を望むべきか?N2?N4? あるいはまったく違う尺度?
・CEFRのcommonの理念とlocalizedの理念はどう整合させられるのか?
・同じく、個別テストのスコアや文法項目等を超えた「can-do」で体系を組むという理念と、そこから逆にA2はこの単語・・・のように落とし込むことの理論的矛盾(と見えるもの)はどのように整理されるのか?
・can do とdoの壁をどう考えるか?(できるけどしない、MacIntyreのWTC的欠損状態など)
・社会的行為、というには、(できるけれど選択としてあるいは無意識的選択として)何もしないことも入るのか? あるいは外形的に目に見え、何かの変革をもたらす行為だけが行為なのか? 沈黙は語用論なら意味のある行為だが、これも社会的行為になる?
・媒介(mediation)がCVで導入された1個の独立した言語能力だとした場合、本邦において長らく批判の対象となってきた「英文和訳」はどうみなされるのだろうか?