本件について,言語教育の研究者の一人として,私見をまとめます。
1)本来,学年というのは何月に始まっても大差ない(だからこそ諸外国の年度開始は様々なのである)。桜が入学にふさわしいと言うが,モミジでも悪くないし,夏の入道雲でも悪くない。要は,情緒的なことを除き,学年を特定の月に始めるべきだという根拠はまったくない。
2)9月入学にすれば,海外主要国の学年と揃い,留学生の往来が活発化し,日本がグローバル化するというようなことを言う人もいるが,大学の現場を知る者から見て,そのような変化はあり得ない(留学について言えば,行きたい人はいつでも行く,行きたくない人はいつでも行かない。受け入れも同じである)。繰り返すが,4月であれ,9月であれ,あるいは,3月であれ12月であれ,ある特定の月に学年を始めたら何らかの明確な利点ないし欠点がある,などということは考えられない。
3)つまり,一般論的に,4月開始がよいか,9月開始がよいかを比較するのはナンセンスである。どちらも別に良くも悪くもないからである。ただ,《現状を変える》ほうが手間がかかるので,このように比較すると,論理的に,4月開始「のままがよい」ということになる。(これは4月がよいということではなく,手間とコストがいらないという点で,「今のままがよい」「変えないほうがよい」ことを意味するだけである)。
4)今,考えるべきは,少なくとも4か月分((部分的な)休校が3~6月として)のこどもの学びが奪われている状況に対して,「今年度の児童・生徒を2021年の3月に次の学年に進級させる」か,「不足した学習時間を取り戻せるよう,不足した時間の分だけ学習期間を後に延ばす」か,「それ以外の救済策を実行する」かである。
5)「今年度の児童・生徒を2021年の3月に次の学年に進級させる」ことを選ぶ場合,児童・生徒の進級・進学権利の保障を行うには,(a)年度内に学ぶべき学習内容を減らしてよいことにする,(b)入試などの範囲をそれにあわせて減らす,という2つの手段(あるいは両方の組み合わせ)しかない。実際,文科省は,大学に対して,教員免許取得に義務付けられた教育実習期間の削減を認めており,入試での配慮も通達している。
6)しかし,こうした措置を取ることの真の意味は,<2020年度の各学年級の子供は,本来学ぶべきことの一部を学ばないでいい>ことを公式に認める,ことに他ならない。弾力的措置と言えば聞こえはよいが,オブラートを取り去れば,履修すべき内容の未履修状態を黙認化することである。
7)学ぶべき内容を厳密に定め,そこに法的な強制力を持たせている指導要領のありかた,さらには,児童・生徒の学ぶ権利の保障という観点に立つと,5)は無理筋である。2006年前後に発覚したいわゆる
高校未履修問題でも,指導要領で定められた内容はカバーしなければならないとして,不足分の補習が義務付けられた。この時,超法規的に「単位あたり35時間」というルールを緩和したが,責任を感じた校長の自殺という痛ましい事態にまで発展したことは記憶されるべきである。
8)次の学年で復習すればよい,というような言説もあるが,次の学年は次の学年でやるべきことが詰まっている。つまり,5)を認めると,2020年度生だけ,学習内容の削減が生じ,その差は,前後の学年と比較して,生涯,不利な要因として残る。
9)あえて極端に単純化した例として,ある入学年次のこどもだけ,日本史で学ぶべき内容の一部(たとえば安土桃山時代)をすっとばすことが許され,それにより,生涯にわたり,安土桃山を知らないこども(=将来の大人)が発生する,というようなことが許されるか,と考えると,これは無理筋だとわかるだろう。
10)9月移行に反対する人たちは,準備時間の不足,一時的な児童・生徒数の増加,コストなどを指摘するが,これらはすべてその通りである。しかし,4月年度開始を維持しながら,<2020年度のこどもが学ぶべきことを学べないままになる>問題にどう対応するのか,の答えは出ていない。
11)繰り返すが,今議論すべきは,年度開始は4月がいいか9月がいいかという一般論的な選択ではない。2020年度のこどもの進級・進学権利と同時に,こどもの学習権利の保障をどのように行うのか?の一点である。
12)筆者は,9月入学論者ではないが,小中高の現場とかかわりの深い教育研究者の一人として,強制的に奪われた4か月間の学び(もちろん,遊びやクラブや行事も学びの一部と考える)を取り戻す方法を考えた場合,《減った分の時間だけ,後に伸ばす》以外の解決はどうしても思いつけない。こどもの教育は促成栽培化できない(できるならすでにやっている)。
13)そうだとすると,「コストもかかり,現場の混乱も必至ではあるが,その制約の中で,年度の変更をどうやって実現するか」という議論を進めていくほうが現実的であり建設的だろう。
14)時間もない中で,かみ合わない不毛な議論を続けるのは無益である。4月入学論者(現行の年度を変えずに対応すべきという主張)には,それでは2020年度のこどもの学習権をどうやって保障するのか,ということを考えていただきたい。日本教育学会は,年度を変えないでも<ICT導入・家計補助・カウンセラー配置>の3点セットで問題が相対的に低コストで解決できると述べておられるが,失礼ながら,こどもの学習権の保護という点を軽く見すぎているのではないかと感じる。一方,9月入学論者には,グローバル化云々という根拠の希薄な議論はお控えいただき(現在,9月入学の諸外国がコロナ対応で年度をずらしたらどうするのだろう?),コスト問題を極小化する具体策をお考えいただきたい。
要は,目の前のこどもをどう確実に救うか,失われた授業はもちろん,失われた甲子園と春高とNコンと運動会と音楽界と遠足をどう取り戻すのか,その一点にしぼって議論いただきたいと強く思う。