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2017/07/11

2017.7.11 兵庫県立長田高等学校文理探究類型卒業研究発表会

日時 2017年7月11日 1~5時
会場 新長田ピフレホール

表記で審査委員長を務めました。

ここ数年審査にかかわっているイベントですが,今年は,発表が完全に英語化されており,どの発表も堂々とした立派な英語で素晴らしかったです。

研究面でも,立派なものが数多くありました。先生方の指導に敬意を表します。

一方,同時に感じたのは,今更ですが,良いテーマを見つける重要性です。良いテーマであれば良い結果につながりますし,テーマがいまいちだと,それなりの時間をかけても,なかなか思ったような仕上がりにならない結果となります。

これまで,SGH(Super Global High School)などの指導を通して,いろいろな高校を拝見してきましたが,高校の研究・探求活動では,生徒さん自身の興味や,生徒さん自身の選択というものが非常に重視され(すぎ)ているという共通した印象があります。

しかし,高校生,とくに1年生に,「何を研究したいの?」と聞いても,実のところ,はっきりした展望がなかったり,あえて答えたとしても,そこまで思い入れを持っていない場合も少なくありません。多くの高校生にとって本格的な研究は初めてなのですから,これは当然のことです。

こうした場合,教師には,あくまでも生徒の自主性を尊重して助け舟を出さないという方向と,生徒のテーマ決定に積極的に関与し,推奨テーマをいくつか示してその中から選ばせたり,場合によってはテーマを先生が決めて割り振ったりするという方向があります。

多くの高校では,前者が基本軸とされているようですが,私見では後者の方向をもっと検討すればよいのではないかと考えています。というのも,自分で選んだからよいテーマで,人からもらったからよくないテーマだということにはならないからです。

教師がテーマを選んだからといって,生徒の個性が抑圧されるわけではありません。先生に割り振られたテーマであってもそれを進めていく過程で生徒ひとりひとりの個性は存分に発揮されますし,枠の中で,興味を生かした創意工夫の余地も大いにあります。10人に同じテーマを与えれば,1年後には,10種の全く違う研究が完成するでしょう。

実際,大学院の修士・博士課程の指導では,研究テーマの決定を完全に学生まかせにすることはありません。工学系ではほぼ全面的に教員がテーマを用意してその中から選ばせますし,私のゼミでもそうしています。高校生の場合,テーマのサイズ感(1年ぐらいの研究で成果が出るテーマなのか10年かかるテーマなのか)がなかなかわからないわけで,今後の研究探究指導では,テーマ設定の部分で,高校の先生方がより積極的に介入していくことが重要になるのではないかと思っています。

なお,こうした点で,高校の研究活動に大学教員が協力できる余地は大きいのですが,一方,大学教員を招くには一定の経費がかかります。最近では,窮余の策として,大学院生を指導者に招くケースも増えていますが,日頃大学院生を指導している立場からすると,彼らが研究の「助言役」をこなすのはちょっと厳しいのではないかと思います。

今後,各地の高校が研究・探究活動を中核事業として位置付けていこうとするのであれば,SGHなどの時限つきの外部資金で大学教員を年に1回,2回呼ぶだけでなく,たとえば,自校の卒業生で大学・企業の研究者になっている人(あるいは退職した人)に声をかけ,無償のリサーチアドバイザー制度のようなものを作るのがいいのではないかと思います。

まったくの私見ですが,母校愛は,卒業後の時間と,母校(故郷)からの空間的距離を基準としてべき乗則で増加するものなので,このような制度だと,新幹線代往復を自己負担しても,かわいい後輩のために一肌脱いでやろうという人は少なくないのではと思います。いや,甘いかなあ。