シンポジムの概要
●テーマ 「地球の諸問題と国際貢献」
●司会 本校副校長 勝山 元照
●パネリスト
ICA関西次長 田和 正裕氏(本校SGH運営指導委員)
神戸大学大学教授 石川 慎一郎氏(本校SGHアドバイザー)
本校グローバル教育推進室副室長 瀧本 家康
本校生徒 (3名・略)
石川の講評より(議事録に加筆修正して公開。2017.3.20)
◆神戸大附属SGHのすぐれた点
いろいろな学校のSGHにかかわらせてもらっているが,それらと比較して神戸大附属の取り組みには良いところが4つある。
1つ目は,新設校として,学校づくりとSGHがほぼ同時に起こったということ。両者がうまく連動して全校を巻き込んでSGHを推進できている。
2つ目は,全校的取り組みであること。SGHに選定されている学校の中には,全校の中のある1クラスだけとか,特別なクラスだけが事業の対象となっているところもあるが,この学校は全員が対象となっていて,全員がSGHに関わっている。必然的に,教員も全員がSGH担当ということになる。生徒・教師含めて全員出動態勢で取り組んでいることはとてもよいことである。
3つ目は,中高を横断した展開になっていること。本来,SGHは高等学校対象の事業であるが,ここは中等教育学校なので,中学1年生から高校3年生までの6年間で,SGHの学びの趣旨を身に付けることができる。
4つ目は,学校理念と整合していること。この学校のSGHは付け焼刃的に取り組まれているものではない。学校のそもそも創設理念が「グローバルキャリア人の育成」であるため,SGHだからといって,無理をしているわけではない。この学校はSGHにならなくとも,きっと同じ活動をしていたはずで,きわめて地に足のついた取り組みとなっている。
◆神戸大附属SGHの今後の課題
次に,課題について考えてみたい。まず,なぜSGHのようなプログラムができたのかということであるが,その背景には,日本の今までの成功モデルが通用しにくくなり,国際競争力が低下していることへの危機感がある。だからこそ,税金を使って,次の世代の人を育てようという趣旨で,このプロジェクトが始まったのだと思う。
ここで,SGHに期待されるのは2つの能力の育成である。1つ目は,時代を変える「豊かな発想力」,そして2つ目は「骨太の行動力」である。SGHの目的は,こうした2つの力を備えた人材を輩出する点にある。この2つの観点から,今度は,あえていくぶん批判的に,この学校のSGHプログラムを見ていきたいと思う。
まず1点目,「豊かな発想力」についてである。これは,「イノベーション」につながる力である。イノベーションとは,既存の枠組みの中でより上手にやるとか,精度を上げるとか,改善を図るとかいったことではなく,これまでとは違うまったく新しい枠組みを一から作ることを意味する。例えば,日本人はスマホに付属するカメラの精度を上げることは得意だが,スマホそのものを思いつくことはできなかった。SGHの狙いは,巨大な新規マーケットを生み出すスマホのようなプラットフォームを新規に着想し,実現できる人材の育成である。この点に関して,今日聞かせてもらった生徒さんたちの発表は総じて優秀なものだったが,少し意地悪な見方をすると,その中に私たちの度肝を抜くような発想力を示す発表はいくつあっただろうか。ここの生徒さんたちは,Kobeプロという高度な卒業研究をされており,先生方の指導もあって,その進め方や論証は手堅く立派である。だが,テーマやタイトルの点でイノベーションを強く感じさせるもの,我々大人の予想を裏切り,思わず唸らせるようなものがいくつあったかということになるといささか心許ない。小学生の夏休みの宿題の定番である自由研究にはいろいろな手引書が出版されており,おすすめテーマなども詳しく解説されている。そうしたものをうまく活用してアレンジすれば,それらしい研究を仕上げることは実はそれほど難しいことではない。だが,附属の生徒さんには,そうした「器用な」だけの研究を抜け出して,我々大人が唸るような大胆な発想力を示すテーマを考えてほしい。そこのところがもっと見えてくるといいなと思う。大事なことはアイディアであり発想である。こちらの生徒さんは復興庁へ行って提言をされてきたと聞く。それはとても素晴らしいことで,実際,マスコミの取材もあって記事になった。だが,私に言わせれば,提言したことが大事なのではなく,何を提言したのかが大事なのである。生徒の発表を聞いた復興庁の職員が,本気で「このアイディアを政策に反映させたい」と感じて初めて,真に「豊かな発想力」が磨かれたと言うべきであろう。
次に,2点目の「骨太の行動力」についてである。これは,附属で言うグローバル・アクション・プログラムの「アクション」に相当する。ここで重要なのはそれが真に「骨太」なものになっているかどうかである。言い換えれば,先生にやらされているのだけなのか,それとも生徒がやりたいと思って自分からやっているのか,ということである。この点に関して,英語教育では‘Can-do’という言葉がある。これは,英語力を,テストの点数ではなく,実際に英語を使って何ができるかという形で示そうとするものである。例えば,「英語で手紙が書ける」「英語で予定が調整できる」といったような形で英語力を示す。Can-doの理念は,何を知っているか(know)ではなく,何ができるか(Can do)を重視する点にあるのだが,私に言わせれば,実は,Can doだけではまだ足りない。Can doとDoは違うからである。現代の日本の若者の多くは,やれと言われればできる(can do)けど, 自分からはやらない(don’t do)。つまり,Can doは身についていても,それがDoに移行しないのである。附属では,先生がたが非常に熱心で,グローバル・アクション・プログラムの枠組みの中で,多様なアクションをいつでもどこでも体験できる環境が整えられている。そして,それに参加すれば,GAPマイレージポイントというものが与えられる。こうしたすばらしい環境の中で,少しきつい言い方かもしれないが,生徒たちには,逆に,甘えや依存の気持ちが生じていないだろうか。学校の中で先生に言われればやる,ポイントをもらえるならやる,というのではなくて,私が本当に見たいのは,学校の外でも,先生が見ていなくても,ポイントがなくても,ここの生徒が自発的にアクションを起こしている姿である。アクションが,仮に,学校のSGH活動の中だけで,ポイントの中だけで完結しているのだとすれば,それはプログラムが期待する「骨太の行動力」とは似て非なる姿であろう。今SGHの2年目であるが,今後3年目,4年目,5年目に入り,Can doを超えるDoがよりはっきり見えてくることを強く期待したい。時代を変える豊かな発想力と骨太の行動力,これら両面が目に見える形で附属の生徒に出てきたとすれば,その時初めて,附属のSGHはうまくいったといえるのではないかと思う。
◆課題の超克へ
以上で述べた課題を超克する方向性は,すでに,附属の生徒の姿の中に立ち現れている。
まず,「骨太の行動力」について。最近,六甲の駅でここの生徒たちが東北のための募金活動をしている姿を見た。「言われてやったの?」と生徒に聞くと,自主的にやっているのだと言う。このような姿が実際に見られるようになっているのはとてもすばらしいことである。
次に,「豊かな発想力」について。この萌芽は今日の授業の中でも見られた。水不足をテーマにした授業(3年生ESD)の中で,生徒たちは,世界の水不足をどのようにすれば解決できるのかという問いに対して様々なアイディアを出していた。その中に1つ私が度肝を抜かれたものがあった。それは,「DNAレベルで人類を改造して,水が少なくても生きていけるようにする」というアイディアである。実現可能性や倫理性はさておき,常識にとらわれない,こうしたユニークな視点こそがイノベーティブな発想につながっていくのだろうと思った。いろいろな可能性が見られる今日の附属での1日だった。