表記に参加し,講話を行いました。
中学校では2019年度から「特別の教科」としての「道徳」(道徳科)がスタートしました。
一般に,「教科」には,(1)免許,(2)教科書,(3)評価の3点セットが伴います。今回,道徳は(2)と(3)をクリアしたわけですが,(a)道徳免許というものは(現状では)ない,(b)道徳は教科内だけでなくすべての教科・課外活動を通じて総合的に教えるべきものである,(c)中学校においても担任が指導する,といった点で他の教科とは異なる特殊な位置づけにあるため,もって,「特別の教科」という位置づけが与えられました。
新しい道徳のあるべき姿を考える場合,今回の道徳教育の改革がいじめ問題への対策として始まったことは,覚えておかなければなりません。
私見では,カギは「自分事としてとらえる」点にあると思います。
その際重要になるのが多面的な意見の葛藤の中から自分の意見を選び取るという体験です。
たとえば,道徳の教材や教師から「いじめはダメ」という価値観を押し付けられた生徒が,そうした見解をオウム返しにして「いじめはしない」と感想文に書いたとしても,その意見は真の意味で自分事になっていない可能性があります。
むしろ,「いじめ」に関するさまざまな立場・意見に触れ,ひとりひとりの生徒が真剣に悩み,教師や友人や家族と対話を重ねることで,自分の意見を練り上げ,最終的に「いじめはしない」という意見を<自らの覚悟で選び取る>ことこそが,意識の変容につながり,ひいては,行動の変容につながるのだろうと思います。
私の理解では,新しい道徳が最終的に目指すところは,意見を選ぶ機会と権利を生徒に与え,あわせて,選ぶことの責任を負わせるというところにあるのではないかと。これは民主主義の本来の姿です。
この意味で,「考え,対話する道徳」の新しい展開は,高等教育を含めた日本の教育の改革に大きなインパクトを持ちます。