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2019/11/28

2019.11.28 研究メモ:若き研究者と論文

 神戸大の国際文化学研究科では1月初旬が修士論文・博士論文の締め切りなので,現在,ゼミ生は研究室にこもって論文執筆の真っ最中である。慣れない論文を延々と書くのはつらい作業であろうが,書き続けることで見えてくるものもある。

 ちょっと前の文芸雑誌を読んでいて,気になる文章があったので,引用する。

…一時期,わけがわからないまま書きつづけてみてわたしが得たのは,時間と労力を傾注して何やかやを暗中模索するうちに,案外,小説めいた(※本文は傍点)何かがおのずと形をなしてくるものだといった,楽天的と言えば楽天的な認識であった(中略)たとえば,或る部屋で誰かがテーブルに向かって座っていると書き出してみる。では,それはどういう人物なのか,男なのか女なのか(中略)。作家は言葉を次々に繰り出し,重ね合わせ,人や物の存在の様態を「限定」してゆく。
松浦寿輝(2015)「黄昏客思 第18回 行路峻嶮」『文學界』69(6), 262-269.

 これは散文と韻文を両方手掛ける著者が,散文というのは「醸造酒的」な「雑」が持ち味であるのに対し,韻文は「蒸留の操作に似た何かを施した言語態」であると主張するエッセイの書き出し部なのだが,上の部分だけを取り出して,少し言葉を変えると,論文執筆に悩む若き大学院生に送る良い言葉になりそうである。

わけがわからないまま書きつづけ…時間と労力を傾注して何やかやを暗中模索するうちに,案外,論文めいた何かがおのずと形をなしてくるものだ…たとえば,或る部屋で誰かがテーブルに向かって座っていると書き出してみる。では,それはどういう人物なのか,男なのか女なのか・・。研究者データを次々に繰り出し,重ね合わせ,人や物の存在の様態を「限定」してゆく。

 学問分野によって違いはあろうが,記述的で探索的な分野の研究者であれば,みな一度や二度はこういう経験をしているのではないだろうか。「神が降りて来る」と言い切る蛮勇はないにせよ,黙々と論文を書いていると,何か吾知らぬところから吾知らぬものが「おのずと形をなしてくる」という瞬間が確かに存在する。

 若い大学院生の諸君には,在学中に,「わけがわからないまま書きつづけ」る経験をできるだけ多く積んでもらいたいと思う。執筆,頑張れ!