野谷先生の最終講義「エピファニーを待ち望みつつ」にオンラインで出席しました。
わたしは,学部の1年生か2年生のときに,野谷先生の英語の授業を受けたことがあります。英文エッセイを課せられ,丁寧に赤字で添削をしていただきました。たしかエッセイのタイトルに私がThe Study on ...と書いていたのですが,先生が添削済みのエッセイを返しながら,こういときはA Study on...だろう,とちょっと笑っておっしゃった瞬間の光景(教室のイメージとか)がなぜか鮮明に記憶に残っています。
わたしが神戸大に赴任した当時,国際文化学研究科には,かつて直接授業で指導いただいた先生が相当数残っていらしたのですが,あれから18年たち,同僚の中の「元恩師」は野谷先生が最後となりました。野谷先生のご講義の中では,神戸大に関して,かくも美を欠いたキャンパスではエピファニーは起こらない,というちょっとアイロニカルなお話が出てきましたが,これは全く同感です。また,神戸大というのは結局どういう大学なのかついぞわからぬままだったというお話にも共感を覚えました。私など,勤務先であると同時に母校でもあるのに,なんだか得体(と言って悪ければ立ち位置とか,ビジョンとか,方向性とか)がしれない学校だなあという気が今もしています。近い将来来るだろう自分の最終講義をイメージして,残された期間で,この得体のしれない(しかしなんだかほっとけなくて愛おしい)学校に対して何ができるか,何をなすべきか,とふと考えたりしました。