下記で発表を行いました。
石川は,ICNALEの構築について紹介し,今後I-JASをはじめとする日本語学習者コーパスで新規追加を検討できる要素として,(a) マルチモーダルデータ(動画),(b)校閲データ,(c)評価データなどがあるのではないと提案しました。
また,学習者コーパス研究者には,母語話者との比較という研究手段を(無自覚的に)取ることで,結果として母語話者の絶対化と学習者の抑圧の構図に加担している可能性への気づきが必要であることを,自戒を込めて話させていただきました。
ELFを前面に出して評価データを集めるICNALE GRAプロジェクトを進めるなかで,この点について私も従前以上に意識的になってきた気がします。コーパスを作る人は,そのデータがどう使われるか,それによって応用言語学にどういう影響が及ぶか,前もって見通す必要もありそうです。
もう1点,ちょっと考えさせられたことがありました。最近,学会がオンライン化するなかで,私は発表や講演では,前もって発表ビデオを作っておいてそれをその場で流すようにしています。もちろん,何度もリハーサルしてビデオをたくさんつくり,そのなかで,時間どおりぴったり話せたものを本番で使うわけです。
ただ,今回,参加者のアンケートの中に,せっかく本人がその場にいるのだから直接話してほしかったというお声がありました。もっともだと思う気持ちある一方,オンライン学会における発表の定番スタイルがなんなのかは意外に悩ましい問題です。
ライブ発表はライブ感のようなものがあるかもしれませんが,一方で,時間配分に失敗して最後のほうは駆け足で・・・ということもありがちです。一方,前撮りにしておけば,何度も録画して,時間配分がうまくいったものを本番で使えます。slip of tongueで不正確なことを言ってしまう問題も回避できます。また,発表者としては,毎回の発表がデータとしててもとに残るのは非常にありがたいことです(後で確認もできますし,たとえば,後日,大学の授業などで学生の参考資料として視聴させることもできます)。
この問題を考えていて,,むかし,日本英文学会などで,発表者たるもの,その場で適当に話すのではなく,原稿をすべて書いておいてしっかり練習をしたうえで,それをよどみなく読み上げるべきだというカルチャーがあったことを思い出しました(最近の英文学会の口頭発表がどうなっているかは存じませんが)。あのころ,若かった私はそれに反発していたはずなのですが,いま,ビデオ発表派になりつつあるのは,結果的に,英文学会の古典的美意識?に回帰しつつあるのかもしれません。